2008年10月17日金曜日

治安維持,装備,隊旗


後述する数々の創作物の影響もあり、幕末、京都の
治安維持の主力を担っていたのは新選組であるとの
認識も一般には強いが、実際は重要な御所近辺は
会津直轄隊の精鋭2000人、その周りは幕臣で構成
される見廻組500人が固めていた。
新選組はというと200人で伏見(当時は京都とは

別の町であった)などを担当していた。

もっとも京都見廻組などが律儀に管轄を守っていたのに

対し、新撰組は浪士の逃亡などを理由に管轄破りをする
ことも少なくなかったといわれる。


装備

羽織
袖口に山形の模様(ダンダラ模様)を白く染め抜いた

浅葱色(薄い水色)の羽織を着用していたとされ、映画など
では隊士はほとんどこの姿で表される。

羽織のダンダラは忠臣蔵の赤穂浪士が吉良邸に討ち入り
するときに着ていた羽織の柄で、浅葱色は武士が切腹の
時に着る切腹裃の色だと伝えられているが、羽織は実際
には最初の1年ほどで廃止されたらしく、池田屋事件の時
に着用していたとする証言が最後の記録である。

隊旗
作ったのは大文字屋呉服店(現在の大丸)。

一説では、大文字屋では無く「呉服問屋・菱屋」と言う
話もある。
また、誠の文字を染め抜いた隊旗は高島屋で作ったと

言われている。


赤地に白字で「誠」を染め抜き、隊服と同じようにダンダラ

が入っていたとする隊旗が一般的。
「誠」という字が旗が揺れたときに、近藤の実家「試衛館」

の「試」に見えるからという理由も隠されているらしい。
近藤派の存在を大きくしたかった土方の野望だとも言われる。

他にも隊旗があり全部で6種類あるとされている。
また、その隊旗が現れたとき、敵は恐怖で凍りついたと言われる。
この旗は現在の高島屋にあたる古着・木綿商によって特注で

製作されたものである。

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