慶応3年11月に徳川慶喜が大政奉還を行った。
旧幕府軍と共に鳥羽・伏見の戦いに参戦するも、新政府軍に敗北。
その後、榎本武揚が率いる幕府所有の軍艦で江戸へと移動した。
新選組は幕府から、新政府軍の甲府進軍を阻止する任務を
与えられ甲陽鎮撫隊へと名を改め出撃するも敗戦。
甲州勝沼の戦いの後、江戸に戻ったが、方針の相違から永倉新八、
原田左之助らは分離して靖兵隊を結成した。近藤勇、土方歳三らは
再起をかけ、流山へ移動するも、近藤勇が新政府軍に捕われ処刑
され、沖田総司も持病であった肺結核の悪化により江戸にて死亡した。
新選組は宇都宮城の戦い、会津戦争などに参戦するが、会津では
斎藤一等が離隊する。
その後蝦夷共和国の成立を目指す榎本武揚らに合流し、二股口の戦い
等で活躍する。
新政府軍が箱館に進軍しており、弁天台場で新政府軍と戦っていた
新選組を助けようと土方歳三ら数名が助けに向かうが土方歳三が銃弾
に当たり死亡し、食料や水も尽きてきたので新選組は降伏した。
旧幕府軍は箱館の五稜郭において新政府軍に降伏した。
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