2008年10月11日土曜日

新撰組 序章

幕末、会津藩主で京都守護職の松平容保の配下に置かれた、
会津藩の治安部隊。
会津藩には武士身分で構成される正規治安部隊、京都見廻組

(組長:佐々木只三郎)があり、 農民・商人身分で構成される
新撰組(組長:近藤勇)は、会津藩の京都における非正規治安部隊
である(後年は近藤らは幕臣になり正式な治安部隊となる)。
新選組はいわば“佐幕派の人斬り集団”であり、池田屋事件などで

京都に潜伏する 過激派尊王攘夷論者や不逞浪士の取り締まりに
あたった(本当は捕縛することが目的なのだが、 逃げようとしたり、
斬りかかって来る不逞浪士があまりにも多かったため斬殺した)。

その一方で、近藤らは新選組内部で凄惨な権力闘争を行い、敵対勢力を
容赦なく殺害した。
内規に反した等として粛清された者は相当数にのぼり、一説には勤皇志士

との斬りあいで 死亡した者より、粛清で落命した者の方が多いともいう。

新選組は、武士になることを宿願としており、目的達成のために武士に匹敵
する活躍をしたため、 特に現代の若者たちから幕末日本を象徴する存在と
みなされ、根強い人気を誇る。

新選組組員の墓参りをする女性ファンも多く、坂本龍馬ら勤皇の志士と共に
“日本史のアイドル的 存在”となっているが、明治政府がかれらと敵対する
勤皇派志士たちによって設立された経緯もあり、 近年まで史学的にもほとんど
注目されることがなく、現在における人気は子母沢寛や司馬遼太郎ら による
新選組をテーマにした数々の小説やTVドラマ・映画等の影響が大きい。

ただし、勤皇の志士たちを多く輩出した山口県などを出身とする人々には彼らを
「幕府に雇われたテロリスト集団」として位置づける人もいる
(松岡滿壽男参議院議員・当時の国会での発言[1]より)が、当時テロ行為を

行っていたのは、 現在の山口県にあたる長州藩出身の勤皇志士側であり、
新選組は日本政府である江戸幕府の 一組織としてテロ集団の弾圧に
当たっていたとするのが正しい。

隊の規律維持のために厳しい局中法度を定め違反者に対し粛清を行ったことや、
「誠」の一字の隊旗や袖口に山形の模様を染め抜いた独特の羽織でも知られる。

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