
安富 才助(やすとみ さいすけ)
天保10年(1839年) - ?)
安富 才助は、備中足守藩出身の新選組隊士。
大坪流馬術の遣い手で新選組の馬術師範も務めた。後、副長。
陸軍奉行添役。諱は正儀。
元治元年(1864年)10月頃に新選組に入隊。会計方後馬術師範となる。
土方歳三の信頼は高かったもよう。
甲州勝沼の戦い以後は土方と別行動を取ったが会津で合流。
蝦夷地へ渡り、陸軍奉行並に就任した土方歳三の直属の部下となった。
箱館戦争で土方が戦死し、それを看取った安富は、土方家宛の手紙を書いて
立川主税に託した。
旧幕府軍は新政府軍に降伏。
明治3年(1870年)に放免され、元御陵衛士の阿部十郎に殺されたと
伝わっているが、 定かではない。
なお、安富が立川に託した手紙は土方家に現存し、その手紙の中で、安富は
土方への追悼句を書き残している。
早き瀬に 力足らぬか 下り鮎
(ただし、これを土方歳三自身の辞世の句とする説もある)
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